久しぶりに登波離橋に立ち寄った。新緑が目に心地いい。ここからしばらく東南に進むと陸郷「桜仙峡(おうせんきょう)」がある。そのロマンティックな名称に誘われて4月下旬に訪れた時には山桜が満開で見事だった。
2ヶ月後、そこまで足を延ばすと深い緑の先に北アルプスが遠望できた。目の前の中山山地(東山)に所々見られる緑の切れ目からあらわになった峻嶺な岩肌は、古の荒々しい地殻の変動を覗わせる。
『池田町誌 自然編』によれば、約2600万年前フォッサマグナの活動によって、ほぼ現在の大町市、池田町、松本市、諏訪市を貫通している糸魚川・静岡構造線が西側の断層となって日本列島の中央部分が大きく陥没し、そこに日本海と太平洋から海水が浸水し「フォッサマグナの海」が出現した。
約200万年前ころまでに、その海が陸地からの土砂の流入や海底火山の活動による隆起によって陸地となったという。それは、ちょうど今の大峰高原の標高くらいの平原で西は飛騨山脈(北アルプス)の山麓まで連なっていた。その平原に北アルプスを源とする河川が西から東へと自由に蛇行しながら流れていたと想像されている。したがって大峰や池田町南部の大穴山の山頂は川原だったことになる。その証拠とされるのが大峰と同じ標高面の各所に残された飛騨山地を故郷とする花崗岩の巨礫である。
約100万年前(更新世中期)頃、現在の松本盆地が陥没し、平坦地が形成されたと考えられている。ようやく私たちが住む安曇野が誕生したのだ。まだ、陥没していなかった安曇平を北アルプスから大峰まで転がった花崗岩の巨礫は、安曇野の誕生後山頂となった大峰に置き去りにされた。
気の遠くなる話ではあるが、そんな複雑な地殻変動の結果が、この起伏の多い美しい景観を造り出していると思うと感慨深い。と同時に地球の巨大なエネルギーを見せつけ、人間に警告を発しているのかも知れない。